2009年度 大阪大学 卒業式 に出席してみて

卒業式での総長のお話から.


ボランティアの背後にあるもの:責任 - responsibility,直訳して応答可能性,呼びかけに答えること,自分が望まれているという感覚,自分でなければならないという感覚.

てなことを仰っていた.

そこで思うのはネットの相反する2つの側面,例えば,ブログ炎上だとかの反社会的行為と,折り鶴を折ったりする賞賛されるべき行為の背後には「自分が(何かしらの行為を起こすことを)望まれているという感覚」があるのではないか,ということ.

多分にインターネットにおいて,我々は個人としてメディアと直面するから「これこれこういったことがあるから,これこれこうしたことを成さねばならない.それを知っているのは私だけ」てな風に理解を進めていき,結果,望まれているという感覚を得ることになるんだろうが….

うーむ.メモの域を出んな….