ちょっとしたニコニコ動画とかに関する考察もどき

http://wiredvision.jp/blog/hamano/
http://it.nikkei.co.jp/internet/news/index.aspx?n=MMITbe001007112007

濱野氏によれば、今年前半に支持を得た2つのサービス、Twitterニコニコ動画には重要な共通性がある。それは、「《客観的》な時間の流れから見れば、利用者の間のコミュニケーションは『非同期的』に行われているけれども、各ユーザーの《主観的》な時間の流れにおいて、あたかも『同期的』なコミュニケーションがなされているかのような錯覚を与える」という特徴である。


擬似同期性てなことだけど、こういうのはニコニコ動画が出来て直ぐから、皆が実感してたことだと思う。けれど上手く言葉で定義してくれたのは有難いね。

で、その擬似同期性がつながりの欲求から生まれたっていう具合にも分析してる。

さて…、何が言いたいかっていうとやね、俺が試験勉強に考えたようなことは数ヶ月前にお偉方が既に通った道だってことだよ。
微妙に違うけれども。

試験勉強より。

ニコニコ動画
:日本のRealty TVはTV性を強調。
 多くの人が見ているものを見ている。

これと同様に、コメントにより、多くの人が見ているものを見ている、という実感→流行った。
根拠:動画のソートにコメント数を基準とできる。
コメントが多い→直感的に、多くの人が見ているようにみえる。
(ただ単に面白いものを見たいのであれば、再生数だけでよいはず)
youtubeではなく、ニコニコ動画
 (初期はyoutubeから動画を持ってきていた。動画を見たいだけならばyoutubeで良いはず)

:関係の局面化
 一緒に盛り上がる人が欲しい。
弾幕をこの論調で論じることも可能?
 弾幕→例えばサッカーでゴールを決めたときの歓声)



違うところは大きく分けて2つある。
俺の結論だと、ネットコミュからニコ動を捉えるのではなく、あくまでマスメディアにおける視聴者性、TV性の強調(皆が同じものを見ているという実感)との類似から捉えていた。ネットでは個が独立してしまうからそのアンチとしてのつながり欲求→擬似同期性、っていうのが引用元の結論。現代社会における個の独立(近代化とか、ポストモダンとか)→マスメディアにおける視聴者性、TV性の強調によって個は繋がりを得る→ネットの上では更にそれが進化し、ニコ動のコメントにおける繋がりってのが俺の結論。
で、俺の結論の、ネットの上では更にそれが進化し、っていうトコロに、ネットでは個が独立してしまうからって理由を付け

足せばスムーズに流れが説明できるんじゃないかな。
現代社会での個の更なる独立(ぽすともだん)→テレビにおける繋がり欲求→ネットにおいてはその性質上さらに繋がり欲求増大→ネット上だとニコ動みたいな繋がり、とか。

でもう1つの相違点はというと「同期性」。
俺の結論だと同期性を考慮に入れていない。コメントをただ、多くの人が見ているものを見ているっていう実感のための道具として考えた。対して先の記事等だと、コメントによって、「非同期的」なコミュニケーションが、あたかも「同期的」になされているかのように見える、ということになってる。

で、これは俺の結論における「関係の局面化(一緒に盛り上がる人が欲しい)」ってのとどうにか関係付けられそうな気がするんだけどどうかな。